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すきやきとわりしたの歴史

すきやきとわりしたの歴史

牛鍋

幕末の1859年に横浜港が開港すると、居留地に住む外国人から日本にも食肉文化が伝わったといわれています。やがて横浜に屠牛場が開設されると、牛肉食が徐々に広がりはじめます。関東風すき焼きの元祖であるといわれている「牛鍋」はこのころから作られ、横浜の居酒屋に登場したのが最初だといわれています。 その後、東京にも屠牛場が開設され、牛肉食が広く認められるようになり、牛肉を食べることは文明開化の象徴ともいわれるようになりました。当時は、食肉を処理する技術や冷蔵設備が発達していなかったため、牛肉は固く臭みも強かったようです。そこで、わりしたは今のもとは違い、臭みを緩和できるみそ仕立てのものが多く、野菜も臭みを取るため、ねぎだけが使われることが一般的でした。肉も今のような薄切りではなく、角切りで鍋に入れることが多かったといいます。やがて肉質がよくなると、牛鍋の味付けは醤油と砂糖を中心にしたわりしたが主流となり、肉も薄切りで食べるようになりました。そして、肉以外の具材もねぎだけではなく、しらたきや豆腐が使われるようになりました。こうして、牛鍋のオーソドックスな形ができあがり、関東で広く知られるようになったといいます。

その後、関西からわりしたを使わない「すき焼き」という牛鍋料理が関東へ進出し、関西風のすき焼きと関東風の牛鍋が親しまれるようになると、「すき焼き」の呼び名が一般化し、新たな「関東風すき焼き」が生まれたといわれています。

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